日泰上人創建の本満寺
生実町にあり、顕本(けんぽん)法華宗であって京都妙満寺の末寺である。日泰上人が文明5年(1473)に創建したと伝えられている。江戸時代徳川幕府はキリシタンと同じく日蓮宗のうち不受布施(ふじゅふせ)派を厳しく取り締まったのであったが、寛永年間(1635~1636年頃)野田村(現 緑区誉田1丁目)で不受布施派を処刑し、同派の寺であった本覚寺を焼き払ったため、野田村では寺院が無くなり、それ以後本満寺の檀家となったといわれている。その本満寺でも8代住職日清が万治3年(1660)に、12代日宏が享保年間(1716~1735)に不受布施派として処罰を受けている。
宝珠山 本満寺(1999年撮影) 
 

 
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